機関紙「銀杏」特集

No.72 2022年11月号


ご挨拶 

会長(母)は8月11日未明、ベッドの上で眠るように旅立ちました。前日までちゃんと 食事をし、おしゃべりを楽しみ、いつも通りの日常でした。本当に突然のことでしたが『見事な大往生』という他に言葉が見つかりません。会長を支えてくださった皆様への感謝と共に、実り多い98年半の人生に敬意を表したいと思います。   

社長 岩城 隆就 


追悼:さよなら岩城祐子会長

  年齢を重ねても、自分の人生は自分で切り開く、その理念を自ら実践してきた創設者・岩城祐子会長が、この夏98年の生涯を閉じました。今回は、1997年に刊行された会長の著書『一歩踏み出せ!』(日本経済新聞)より、会長の死生観が色濃く述べられた「あとがき」を一部紹介します。

 ※紙面の都合上、全文の掲載ができないことをご了承ください。



 私は大正 三年生まれです。小学校の 初の記憶は、運動会でも遠足てもなく、慰問袋作りでした。小学校の時から大学卒業まで、戦争明け暮れて、昭和二十一年に結婚したので、私は普通の結婚を知りません。(中略)

 ちょうど、昭和二十年七月の半ば頃でした。その日はカンカン照りの暑い日で、私はひとり自転車を押して中島飛行機工場の長い塀の前の真っ直ぐな道を歩いていました。工場の正門前に立っている守衛さんは、あまりに暑いので自分の持ち場より三歩前に出て、胸に風を入れていました。 周りに人影がまったくないほど、暑い暑い日たったのです。愛想の良い私は「暑いわねえ・・・」と声をかけて彼の前を通り過ぎようとした時です。ヒユーンという飛行機の降下音を聞きました。

 ハッと振り向くと、私に向かって降りてくる飛行機と飛行帽が見えたのです。本能的に私は、自転車をバッと倒して、左側の路肩が二十センチくらい低くなっている雑木林の中に飛び込んで倒れましたが、その私の横をカチカチと金属音をたてて、機関銃の弾が通り過ぎて行ったのです。

 それは、まばたきを二回するだけの一瞬の出来事でした。横の農家の孟宗竹は全部、ザザザァと地面に頭をつけていました。我に返ればさっき私が「暑いわねえ」と声をかけた守衛さんは胸に二発の機関銃の弾を受けて、背中がほとんどざっくり割れて即死していました。(中略)これが運命なのでしょか等々、いろいろ考えます。今でも考えます。

 現代のように、国の首脳部同士での意見や利害の勝手な対立を、新聞やニュースで見てハラハラしても、私などにはどうすることもできません。その結果が、無防備、無抵抗の私がただぼんやり歩いている時、敵だからといって突然、空から機関銃です。その時、飛行帽のお兄さんは、鼻歌まじりで「オッ、一丁、ヤッタルカッ」という気分だったはずです。

 大会社に勤めていると、同じような場面が多くあるでしょう。

 将棋の駒を指す人は楽しく、面白いは図ですが、駒の身になればみじめなものです。国同士の戦争の戦略と、企業の販売拡大の戦略なども、原理はすべて同じものだと思います。首脳部の利害が対立して争いとなり、初めからまったく関係のない底辺の人間がその被害を受けることになるのです。ですから、私には零細企業が良いのです。自由がいっぱいあります。すべて、自分の責任において自分で決められます。たとえ失敗しても、それは自分だけの責 任でゴタゴタ言われることもありません。 私も年を重ねれば、その時々の体力に合わせて、手掛けてきた愛着のある仕事でも、そこからスパッと手を引こうと思います。ちょうど、教習所から老人ホームへと仕事を切り替えた時のように「ゼロからの出発が美学でしょ」というふうにいきたいと思います。 その時、ガード下に小さい飲み屋さんでも始めます。 月々の赤字予算を立て、赤字予算ですから安くて美味しいのです。そして、色気を卒業した女のちょっと色っぽい話術の研究などを毎日楽しんで、まあ、これも終わりよと思った時には、一週間くらいでパッとこの世からも幕を引く。最後まで、「私自身が私の主人」というものだと思います。首脳部の利害が対立生き方でいきましょう、と思っております。

 

『一歩踏み出せ!出直しが人生を面白くする』(日本経済新聞)詳細へ


●フェスタでは大活躍

秋のシルバー・フェスタでは、毎年大活躍。その趣旨に賛同して、山田洋次監督が演出してくださったこともあります。

●仕事も楽しみも精力的に

1980年代、テレビに出演されたり、いろいろなことに興味津々。三味線の発表で堂々と演奏する会長。

●活動幅も広く海外にも

教習所とタクシー会社を経営し、社員の野球チームを結成したことも。

 カナダ・モントリオール大学から、名誉博士号を授与されました。

●ここは自分が主体となって生きる場所

 映画「母のいる場所」発表会。人生の主人公は自分!という思いが広くしじされました。

『母のいる場所』2003年の日本映画。 第16回 東京国際女性映画祭出品作品「母のいる場所」詳細



岩城祐子(いわき ゆうこ)

1924(大正13)年生まれ。

日本女子大学家政学部第2類卒業。

1980(昭和55)年に(株)さんわを設立し、介護つきの都市型有料老人ホームを開設。

「人生の主役は自分自身」のポリシーのもと、シルバーヴィラ、アプランドルの会長として生涯活動を続けた。

享年98。

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